パルシステムグループ及び東京災害ボランティアネットワークの活動 三宅島島民の自立を支えて(社会貢献活動レポート|2004年11月)

2004年11月1日

四年に及ぶ全島避難からやっと帰島が決まった三宅島。現在、三宅村では帰島に向けた生活環境整備に取り組んでいます。着の身着のまま避難した島民を支えてきたのは、島民自身の互助組織と多くのボランティア。パルシステムグループも年三回、「三宅島の自立支援」のため島にゆかりのある商品の供給を行い、その利益分を寄付してきました。2004年9月で10回目となりますが、これまでの寄付総額は2,042万6,727円となりました。

支援がスタートした当時、連合会で商品を担当していた相模センター所長、山岸誠一郎と、全島避難以来島民のみなさんを支え続けてきた「東京災害ボランティアネットワーク」事務局長の上原泰男さんを取材しました。

三宅島の紹介

三宅島のプロフィール

  • 面積 … 55.5平方メートル(世田谷区より少し狭い程度)
  • 位置 … 都庁から、南に約179km
  • 人口 … 全島避難時で、約3770人
  • 産業:噴火災害前の状況です

農業:199戸。粗生産額5億7000万円。レザーファン、アシタバ、サトイモ、花類など。
林業:4,172ha(三宅島の75%)。3900万円。
水産:登録船舶数167隻。2億4500万円。
観光:93の宿泊施設。年間来島者は89,043人。

噴火からこれまでの主な経過

2000年
6月 … 火山活動の活発化
7月 … 大規模噴火
9月 … 全島避難
2003年
4月 … 滞在型帰島事業の開始
10月 … 一般島民の渡島可能
2004年
7月 … 帰島方針出される
2005年
2月 … 帰島開始(予定)

三宅島島民ふれあい集会

パルシステムグループの支援

パルシステム連合会が三宅島の自立支援に取り組んだのは2001年9月から。当時、商品本部非食品グループグループ長だった相模センター所長の山岸誠一郎のもとに、東京都生協連から三宅島支援の取り組み依頼が入ります。「生協は社会的存在価値のあることをする必要があると思います。しかし何か違うことをやりたいと思っていても、日常業務の中ではなかなか機会がなかった」「支援を商品購入で、という具体的な話があったわけではないが、商品部に話がきた」ので、島嶼関連の商品を扱おうと考えました。カタログ本誌の最後のページ半分ほどを使用。組合員の利用も多くあり、「みんな社会的なことに協力したい気持ちはある」と感じたそうです。苦労したのは商品がないことと、供給見込みが立ちにくかったこと。また、アシタバ染めハンカチなど、島で生産しているものは海がしけると船が止まるのでヒヤヒヤしたそうです。

相模センター所長・山岸誠一郎

今後の支援については「ある程度、復興が軌道に乗るまで、なんらかの支援をおこない、見守り続ける必要がある」と言います。

三宅村長に義援金を贈呈(2004年8月24日)

東京災害ボランティアネットワークの支援活動

全島避難から4年間、島民の方々を支えてきたのが東京災害ボランティアネットワークでした。事務局長の上原泰男さんは1995年の阪神淡路大震災の時に現地に駆けつけ、「悲劇のまっただ中にいてその全てを感じ取っていかなければ」との思いを深くし、その中で「一生分の涙を流した」と言います。「人の命は守らなければいけない」との思いを強くした上原さんは、地元東京に東京災害ボランティアネットワークを立ち上げます。上原さんは「橋を作るよりも道路を作るよりも、被害を受けた人により添って、『みんなあなたのことを忘れてはいないよ』ということを伝えたい」と言います。この心が、上原さんのボランティア活動の全体を貫いています。分散して生活している島の人たちの名簿を作り、300台のファックスを島民に配り、毎週A4裏表一枚の情報誌「みやけの風」を島民に届けています。2000年12月から始めた「ふれあい集会」は、島の人、ボランティアの人が顔を合わせ、お互いの無事を確かめ合う大事なつどいの場になっています。

東京災害ボランティアネットワーク事務局長 上原泰男さん

2005年2月から始まる帰島に際しては、島の中にボランティアを常駐させ、高齢者の引っ越しや生活環境の整備を応援する態勢を作りたいと考えています。多くの人たちが心を動かし支援する姿を上原さんは「国の宝」と表現します。そしてそっと語りかけます、「やさしい人になりませんか」と。「いい人がいい集団を作り、いい集団でいい人が育つ」そして、やさしくていい人は強いのです。

平野祐康三宅村長からお話を伺いました

「帰島に向けた準備を進めています」
2004年7月20日に帰島方針を出しました。帰島準備については、予定通り進んでいます。ただし支援をもらいたくても法的な根拠がないものが多いため、先日、都とともに国に対して帰島後の生活基盤や環境整備についてお願いをしてきたところです。現在、小・中学校整備のための災害査定、中央診療所整備の予算化、公営住宅の整備の予算化を終えています。また堆積土砂対策の目安もつき、片づけ始めています。一番気になる廃自動車は島内に3千数百台。これを島外搬出・廃棄処理するには船による移動と港から処理工場までの陸送費用がかかります。これは国に対応をお願いするしかない。

平野祐康三宅村長

噴火前、三宅島には海水浴やダイビング、バードウォッチングなど、年間9万人の観光客が訪れていました。一時見えなくなった野鳥も戻り、自然は回復しつつあります。しかし、観光の受け皿である民宿の経営者は高齢者が多く、事業再開が困難な方もいます。また農家は199戸あり、あしたばやレザーファンを作っていました。農地は降灰除去、四年間放置する間に繁茂したツルや木を整備する必要があります。その他、行政無線や個別の受信機の整備、パトライトの設置など、安全対策には力を入れたいと思っています。

生協の支援活動には本当に感謝しています。島民が新たに開発をしてきた商品を見ていると、島民も知恵を絞らなかったわけではないな、避難して四年間がんばってきたな、三宅も捨てたものではないと思います。「帰島」については、子供の教育や入院中の高齢者など残る人もおり、帰島は7割と考えています。残る人も帰りたい気持ちは持っています。こちらに残る島民の対策もおろそかにはできません。

パルシステムの三宅島支援企画とその主な商品

*本ページの内容は2004年11月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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