フィリピン・ネグロス島バランゴンバナナのフェアトレード 「南の村」と「北の台所」をバナナでつなぎあって(2004年7月)

2004年7月1日

商社などの手を通さず、自分たちで運んだ「バランゴンバナナ」が初めて日本に届いたのが1988年4月。バナナは真っ黒になっていましたが、このバナナを手にした生協の組合員が、「これが私達の力で手に入れたバナナよね」と涙を流して感動した、という話があります。

ネグロス島、バランゴンバナナの生産者

市販の農薬漬けのバナナは食べたくない、プランテーション労働者の健康と引き換えに作られたものではなく、素性のはっきりしたバナナが食べたい、との日本の生協組合員の思いと、植民地時代から続く搾取の構造の中で飢餓に苦しむネグロス農業労働者の自立への思いが「バナナ」によって結ばれたのです。「民衆交易」としてバナナを輸入するために、グリーンコープ、生活クラブ生協、首都圏コープ(当時)などの生協と市民団体が「オルター・トレード・ジャパン(ATJ)」を立ち上げます。「南の村おこし」と「北の台所おこし」をつないだバナナは北と南のそれぞれが「生きるためのバナナ」だったのです。

パルシステムの国際産直の原点、このネグロス・バランゴンバナナのお話をATJ代表堀田正彦さんからうかがいました。(聞き手はコープニュース上林裕子記者)

ネグロスでは、3%の地主が67%の土地を所有している

砂糖の国際価格の暴落により、フィリピン・ネグロス島の「砂糖きびプランテーション」の農業労働者は貧困と飢餓に苦しむこととなりました。犠牲者が出るなどの深刻な状況になっていることを受け、1986年、日本ネグロスキャンペーン委員会ができました。このなかで、生協の組合員などがネグロスの子ども達のために募金をしたりするのですが、ネグロス島を訪れてみると、植民地時代からマルコス独裁政権へと引き継がれてきた歴史の中で作られてきた、まさに「構造的暴力」であることがわかってきました。募金では根本的な解決にはならないということに気が付いたのです。

ではどうすればよいのか。その構造を変えるための代案が必要です。生協のみなさんからでたアイディアが、「基本的に自分達で食料を調達できるようにしよう」「自給自足の農業を作ろう」という代案でした。そのために独立した経済資源はないかと考えていたら、自分達が困っているバナナがある、と。それでネグロスにあるフィリピン人があまり食べないバナナ、バランゴンバナナを選んだ訳です。

そのための流通ルートは?資金は? となり、日本の生協の支援を受けて「草の根商社」を作ることになりました。現地で付けた名前が「オルタートレード」、こちらは日本なので「ジャパン」を付けました。オルターは「オルタナティブ」「もう一つの」の意)のオルターです。

バナナは農業構造改革の先駆け

バナナは1963年に日本で輸入自由化がすでに決定されています。この後、日本はトラックと高速道路による農作物の全国的流通に、一気に変わっていくわけです。1965年以前までは、野菜は地場消費、地産地消でした。ところが1965年の第一次全国総合開発以降に、土木開発による国益国策運動と併せて大量単一作物栽培、つまり特定産地法によるキャベツの大産地、レタスの大産地、大根、にんじんの大産地などが次々に作られ、それを全国流通させることになります。するとトラック輸送が便利だ、トラック輸送のためには高速道路が必要だと、三位一体の形で開発が進んでいきました。バナナはまさにそれの先駆けとなりました。バナナは、高速道路と大量販売できる大手スーパーがないとせっかく輸入しても腐らせるだけなのです。スーパーができてから初めて輸入が自由化となり、コールドチェーン勧告で冷蔵設備が全国に拠点化されてからバナナが作られはじめ、トラック輸送が鉄道を凌駕し、高速道路ができてからバナナが実際に入ってくるとなったわけです。振り返ってみると、日本の国策と、農業が構造改革されていくプロセスとバナナが一体化していたことがわかってきます。

自由化前、台湾バナナで年間4万7千トンだったバナナの年間輸入量が、100万トンになる。輸入自由化してエクアドルなどから入ってきて40万トン、フィリピンが加わり、100万トン。バナナ好き日本人が狙われたというわけです。別の見方をすれば自動車を輸出する見返りにバナナを輸入するような構図であったとも言えます。それはフィリピン人にはほとんど関係なく、日本の都合で作らされている作物であるということがわかってきました。そうなると大量に農薬、化学肥料を使い、地力を無視した生産につながっていくわけです。

バランゴンは素朴なバナナです。山に植えた木から収穫してきたものを、こちらが山まで買い付けに行って一房ずつ買う。それを村まで持ってきて木の水槽で水洗いします。最初10トンのテストケースから始めましたが、今は1,800トン。今年は2,000トンを目標にしています。

バランゴンというのは、バナナという食べ物ですけれど、「メディア」—南と北がバナナを通して一体化し、コミュニケーションをとるために、メッセージを運ぶ役割をもつもの—だといえると思います。バランゴンを通して、メディアで単純に流れているニュースとは違う味わいで、本当のフィリピンが理解される—私たちのバナナの産地のフィリピンでそんなことが起きているのかという、いわば急にフィリピンが台所になってくるということが起きてきたと思います。

生協だからできた民衆交易

生協でなかったら民衆交易は成り立たなかったと思います。ニーズというよりも、どんなものが届いても買います、捨ててもいいから買います、と。それがなかったら我々のお金で輸入できないですから。

最初にグリーンコープが、ネグロスの人たちと連帯するという、「南と北の連帯」を設立総会で掲げました。2回やって、「なんとかやれるな」というところで生活クラブと首都圏コープ(当時)に呼びかけてATJを作りました。でも最初は全然量がとれなくて、生活クラブが実際にバナナを始めるのは3年後です。生活クラブ全体に配達出来るようになるのは4年後です。当時はまだ「幻のバナナ」でした。生活クラブの「活き活き祭り」でバランゴンバナナの叩き売りをしたら、叩き売りのつもりがどんどん値が上がってしまいオークションになったこともありました。

トレードではなく「食べ物の運動」

私たちはこれをフェアトレードではなく、「民衆交易」、英語で「People to People Trade(人から人へのトレード)」と言っています。フェアトレードというのは1975年の国連開発計画の標語に「Trade not Aid(援助ではなく交易を)」という標語があり、それに基づいて各欧米諸国の諸団体が貿易振興ということを謳って、とりわけヨーロッパの国々がアフリカの新興社会主義国支援という形で始めました。それが第一段階のフェアトレード。それをずっと継続的にやったのがオックスファムのような国際開発協力と援助活動をやっている人々。彼らがキャンペーンのグッズとして民芸品などの輸入販売をして基金を作るということを始め、それが第三世界ショップという形でヨーロッパでは広がっていました。フェアトレードとは元々ヨーロッパ発の概念で、公正取引です。

ATJ代表 堀田正彦さん

フェアトレードはトレードに焦点を当てすぎていますが、トレードが課題ではありません。南と北の自立と支援が課題なのです。今ネグロス島でいえばそれまで輸出作物一本槍で、自給セクターがずたずたにされているわけです。自分たちだけで生きていけない農村構造になっている。それがニューヨークの砂糖価格が暴落すると飢餓と貧困が蔓延する構造に直結しているわけです。私たちは輸出セクターに変わるものを作りたいのです。いま私たちがバナナを輸入しているのは本来は自給セクターの一部なのだという概念です。一村一品運動みたいなもの。フェアトレードグループも理念的には同じことを言葉としては言っています。ただやり方が生協ではなくてお店です。

深く産地に関わった形でやっているという意味では私たちしかいないのです。しかも単品で食料品である。つまり農業問題に真っ向から取り組んでおり、消費者としては食べ物運動の問題なのだと考えているわけです。日本の農業がかなり危機的状態に陥ってきた構造と南の国の農民が自立できなくなった構造は全く同じだと思うのです。

私たちの株主、生協団体はまさに、どうやったら自分たちの安心・安全な食べ物を手に入れられるのかという都市住民の観点から始まっているけども、それは農村との共存なくして成立しない形であり、協同組合運動そのものが農村を支援する、あるいは農村から支援されるという関係があります。個人の店で好きなものを買うというのとはちょっと違ってくるわけです。

私たちの国際産直は、少しずつではありますが、ネグロスの人々の自立を応援することができています。またこの産直は一方的な支援ではなく、私たちの食卓に安全なバナナを届け、たくさんのことを教えてくれました。
いまパルシステムグループでは産直方針論議が進んでいます。この方針案の「産直の目的」にもありますが、「消費者と生産者の健康で安心なくらしを守り、豊かな地域社会を作っていく」と言う点では、ネグロスとの国際産直も、国内での産直も、その構造や思いはまったく同じ。「産直」や「地域づくり」に永年取り組んできた私たち生協。国際産直、フェアトレードは、まさに生協らしい運動、事業と言えるのではないでしょうか。
しかし、簡単には解決できない社会構造の問題をはじめ、まだまだ課題は多いと堀田さんは言います。また現在、日本は国内の市場開放問題を抱えながら、フィリピン・タイ・韓国とのFTA協定の交渉を進めています。いわば地球規模で「大量単一作物栽培」が進もうとするなかで、今まで以上に「オルタナティブ(もう一つの)」な民衆交易の意義はますます高まっています。

*本ページの内容は2004年7月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合があります。あらかじめご了承ください。