東日本大震災の教訓を生かす 熊本地震支援(社会貢献活動レポート|2016年10月)

2016年10月4日

東日本大震災の教訓生かす
人、モノ、情報を駆使

日本の地震観測史上初めて「震度7」を2回計測した熊本地震。強い揺れは、周辺地域にあった多くの建物や道路を破壊しました。避難所や車中での生活で体調を崩した方、その後の豪雨による土砂崩れなどで亡くなった方といった関連死を含めた死者数は82人におよびます(8月末時点)。

地震発生直後から、全国から支援の手が届きました。パルシステムグループも、総合福祉事業などで以前から連携する社会福祉法人陽光(熊本市)の要請に基づき、特別養護老人ホームやデイサービスセンターなどを経由し、物資を提供しました。現地では、避難所へ行けば食料などの生活物資を受けられましたが、移動の困難な高齢者、障がい者など「災害弱者」と言われる人々は、食料調達もままならなかったそうです。物資は米飯セットやレトルト食品、缶詰、水、紙コップなど、200人が5日間生活できる量です。

人的支援としては、政府の要請を受けた日本生協連を介して職員を熊本県へ派遣し、支援物資の仕分けや輸送作業を手伝いました。大規模な災害が発生した直後は、行政も混乱して各地の被災情報も錯綜します。地元行政では混乱を避けるため、地域外からのボランティア受け入れを一時的に停止していました。

こうしたなか、パルシステムでは政府と連携したボランティア活動と並行しながら緊急支援活動を展開するNGOなどと情報交換を続けました。支援が届いていない人々がどこにいるかを確認し、支援活動の具体化へ検討を進めるためです。物資と人員の派遣、情報の整理と把握。緊急支援を続ける一方で、パルシステムは東日本大震災の経験を生かし、できるだけ被災した一人ひとりのくらしに寄り添った支援ができるよう、準備を進めました。

福祉施設での炊き出しの様子(宇城市)

募金額は約2億4千万円
災害支援NGOにも活用

物資支援や初期のボランティア派遣と合わせて組合員へ呼びかけたのが、「熊本地震緊急支援募金」。すべてを義援金として被災各県へ贈呈した東日本大震災と異なり、熊本地震では被災した取引先やメーカーへの復旧費、支援活動に取り組むNGOへの活動費としても活用することとし、組合員へ協力を呼びかけました。

その結果、総額で2億3994万3642円もの募金が寄せられました。災害支援NGOは、迅速に現地へ入って活動できますが、炊き出し活動などを開始するには機材の購入などに資金が必要になります。そこで、パルシステムが募金からおよそ6400万円を支援金として提供しました。募金は、支援活動の円滑化にも貢献しています。支援を受けたNGOなどでは、避難所での炊き出しや緊急支援物資の提供のほか、避難した人同士が助け合いながら生活できるようなコミュニティ形成、子どもの精神的なケアなどの支援を行っています。

熊本県への募金贈呈式(中央は吉永熊本県生協連会長、中央左はパルシステム連合会 吉中副理事長)

一方、パルシステムの職員もボランティアとして、炊き出しや引っ越しなどの支援活動を行いました。宇城市からは避難所2カ所での炊き出し要請があり、約1カ月間で約900食を提供しました。避難生活を送る人同士のコミュニケーション手段が少ないなどの課題を抱えるなか、炊き出しが気軽に交流できる場となりました。募金は、使用した食材費にも充てられています。

引っ越し支援では、倒壊を免れた家財道具を仮設住宅へ運ぶ作業を行いました。参加者のひとりは、「ほとんどの依頼者は、住んでいた家との広さの違いから希望するすべての家財を持ち込めず、落胆します。何度も話し合って納得してもらわなければなりません。それでも感謝されたり、謝られたり――。心が苦しくなります」と心情を吐露しました。

台風、大雨、地震で出荷半減
「組合員の思いが伝わります」

寄せられた募金の一部は、見舞金として産地やメーカーへ寄贈しました。「熊本県では、2015年9月に大型台風、2016年1月に大雪と、ともに観測史上例をみない異常気象で農作物も大きな被害を受けました。そして4月の大地震です。この1年間の農作物出荷高は、例年の半分まで落ち込みました」。パルシステムの産直産地で、見舞金の贈呈先となった水俣・不知火ネットワークの松本英利代表は話します。

7月31日、水俣・不知火ネットワークへの募金の贈呈式(写真右から、パルシステム連合会 白川副理事長、パルシステム埼玉 田原理事長)

生産者のひとり、倉富一義さんの果樹農園では、石垣が何カ所も崩落しました。復旧には重機を入れることが効率的ですが、雪による凍結被害からようやく立ち直った果樹を傷つけるわけにはいきません。「作業の安全確保を図りながら、少しずつ直していくしかないですね」。倉富さんはため息交じりに話します。

また、集荷場で働いていた定時職員のなかには家が全壊し、移り住んだ避難先に子どもたちがなじめず、精神的に不安定となっている人もいるそうです。「1年で一生分すべての災害を経験したようなものです」と松本さんは冗談交じりに話しますが、「生産者は、農地という現場で野菜や果物を作る以外、できることはありません。私たちの農業を次世代へつなぐためにも、農業でこの困難を乗り越えていかなければなりません」と決意を語ります。

こうした復旧・復興へ向けた活動を進めるうえで募金の贈呈は、「組合員とのつながりを実感し、とても励みになります。みなさんの思いにこたえるには、いい生産物を届けること以外にありません。そのためにも、一日一日、農業と向き合っていきます」と松本さんは話します。組合員一人ひとりの思いは、確実に被災したみなさんの背中を押すことに役立てられています。

*本ページの内容は2016年10月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合があります。 あらかじめご了承ください。