パルシステムの平和活動 ニューヨークに職員派遣(社会貢献活動レポート|2015年7月)
2015年7月1日
おみやげを買う時間もない
タイトなスケジュール
2015年4月から5月にかけて、核兵器の拡散防止などを協議する核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議がニューヨークの国連本部で開催されました。全国の生協から派遣された「生協合同代表団」は、日本原水爆被害者団体協議会(以下、日本被団協)のみなさんとともに、国連本部やニューヨーク近郊の施設を訪問し、原爆被害の証言などを通じて核兵器の廃絶を訴えました。
パルシステムグループからはパルシステム東京、パルシステム神奈川ゆめコープ、パルシステム静岡(静岡県生協連として)の役・職員4名が参加。パルシステム東京は、職員に対して公募を行い、三鷹センターで営業を担当する村山結さんが派遣されました。村山さんは、「当初は『おみやげを買う時間くらいはあるんじゃないか』と軽い気持ちでしたが、スケジュールはぎっしりでした」と笑って振り返ります。
ニューヨークでの活動は、(1)施設での原爆証言活動、(2)各国政府に対する要請行動、(3)核兵器廃絶を求めるNGO共同行動(集会やデモ行進)への参加と交流――などです。総勢140名の参加者は14のグループに分かれ、証言活動を中心に各地を訪問しました。村山さんが所属した3グループは、日本被団協から派遣された証言者でもある被爆1世2名、2世1名の3名とともに地域の教会や学校など3カ所を訪問し、原爆の体験を伝えました。
こうした活動を通じ、証言者による生の声を聞けたことが大きな経験だったと言います。「当時感じたことだけでなく、今も抱える不安やトラウマのような記憶など、映像や文章だけではわからないことを多く感じることができたような気がします」(村山さん)。
夜空を赤く染めたきのこ雲
政府要請では「涙が出そう」
証言者のひとりは3月の東京大空襲によって広島に疎開し、10歳のときに4キロ離れた場所で被爆しました。記録映像でよく見る「きのこ雲」は投下後も燃え続けて夜は真っ赤に空を照らし、きのこの形を保ったまま3日3晩浮かんでいたそうです。原爆の影響は体と心におよび、子どもを出産したあとは繰り返される手術と検査に苦しんでいます。
もうひとりの被爆1世の証言者は3歳のとき、長崎で被爆しました。当時生後8カ月だった妹は、19歳の成人を前に亡くなりました。日本舞踊を習い、初めての発表会を目前にしていたなか、一度も舞台に立つことができませんでした。
被爆2世の証言者は、2014年にようやく国から原爆症に認められた母の体験を紹介しました。長期にわたって慢性肝機能障害を患いながら認定を得られず、裁判で争った末の認定でした。しかし、証言者の母は2010年に亡くなりました。証言者が娘を産み、孫の顔を見てからたった9カ月後のことだそうです。証言者自身も、母の裁判や自らの健康への影響に苦しんでいます。
それぞれの体験を聞き、村山さんは「証言者が抱えているのは、核兵器をなくしたいという気持ちだけではありませんでした」と言います。「もちろん、核兵器の非人道性は伝わってきます。それとともに、充分な支援を行わない政府への怒りや、核兵器の廃絶がうまくいかないもどかしさなど、それぞれの思いを感じたような気がします」。
フランス政府への要請行動では、互いの考えがかみ合わず「涙が出そうになりました」と村山さんは話します。「フランス側は、事実として核兵器が存在することを前提に現実的な考えを説明します。それに対し、日本側は核兵器をなくしたい思いが強く、議論は交わることがありませんでした」。最終的にNPT再検討会議は、決裂したまま閉幕しました。その溝の隔たりは、政府間交渉でも同じだったのかもしれません。
無関心を跳ね返せ!
“伝えることの大切さ”を痛感
代表団全員で参加したNGO共同行動集会も、印象的だったようです。「日曜日ということもあり、家族連れやコスプレでの参加などバラエティに富んでいて、日本のデモとは違った印象を受けました。ステージのパフォーマンスがヒップホップ調だったり、道を走る車がクラクションを盛大に鳴らしたりと、お祭りのような雰囲気で『関心を集めよう』という意図が表れていました」。
この派遣をきっかけに、友人や家族との会話で、平和について話す機会が増えたと言います。「とくに、平和問題に詳しい兄と話す機会が増えました。議論になるとすぐに負けてしまいますが、自分の思っていることを言葉にしてくれているような気がします」(村山さん)。ただ、友人との会話では、あまり盛り上がらないとのことです。
戦後70年の今年、パルシステムグループでは、戦争の悲惨さを伝える学習会を各地で開催しています。村山さんも、パルシステム東京が主催する学習会などで、NPT再検討会議派遣で感じたことなどを発表する予定です。「私より知識が豊富な人はたくさんいるので、発表では派遣されたひとりとして、感じたことを素直に報告するつもりです。証言者のみなさんのようにうまく話せませんが、『伝えることの大切さ』を感じてくれるとうれしいです」。
終戦の日、村山さんはあることに関心を寄せています。「70年という節目を迎え、発表が予定されている首相の談話に注目しています。これからの日本の平和とか、戦争への考えとか、意識して聞いてみたいと思います」。派遣を通じて平和への関心を高めた村山さんのように、経験をもとに感じたこと、考えることを伝え続けることが、平和への近道かもしれません。
*本ページの内容は2015年7月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合があります。 あらかじめご了承ください。