平和学習会を開催 「25歳の平和の語り部が伝える核兵器と平和」

2018年8月2日

パルシステム連合会の地域活動委員会は7月12日(木)、東京・新宿区の東新宿本部で、25歳の広島平和記念公園のボランティアガイド・村上正晃さんをお招きし、平和学習会を開催しました。

昨年「核兵器禁止条約」が国連で採択され、成立に尽力した核兵器廃絶キャンペーン(略称ICAN)がノーベル平和賞を受賞するなど、核兵器廃絶への動きは加速しています。しかし唯一の戦争被爆国である日本は条約交渉に反対し、現在も参加する意思を示していません。

パルシステムは心豊かなくらしと共生の社会創造の理念のもと、核兵器のない世界を次世代につなぐため、被爆者が訴える核兵器廃絶にむけた国際署名(略称ヒバクシャ国際署名)、また今年4月にICANに加盟し廃絶への取り組みを進めています。その一環で今回、ボランティアガイド歴4年の村上正晃さんをお招きし、原爆被害や核兵器の実態、被爆体験のない若者が101カ国約3万5千人のガイドをして考えたこと、模索してきたことなどをお話しいただきました。

講演に先立ちパルシステム連合会の髙橋宏通常務執行役員はまず「西日本豪雨で大変な状況のなか、今日は大変恐縮です」とお礼を述べ、「一昨年前、先日亡くなられた桂歌丸さんを取材し、『笑いは平和あってこそ』というメッセージをいただいた。平和への固い信念を持つ方を亡くしたことは非常に残念だが、生協も平和でなければ組合員の暮らしを支える役割は果たせない。平和の問題を若い人に考えてもらうためにも、今日の話をまわりに広げていただきたい」と挨拶しました。

73年経って変化しつつある考え方

平和公園に通い始めた元々の理由は、「海外の方がたくさんいるので、そこで英語の勉強をしたくて」と村上さん。平和教育は小中で受けたが、身内に被爆者はいないし、観光名所みたいな印象だった。そのうち平和公園のガイドで胎内被爆者の三登浩成さんと出会い、誘われたのがガイドをするきっかけだそうです。「地元出身でもほとんど知識がなかった。他のガイドや被爆者のお話しを聞いたり、自分で勉強もするなかで、“原爆はその日起きた過去のことではなく、現在の核の問題につながっていて、昔話にしてはいけない”と思うようになりました」。

一方いまの広島はというと原爆被害や平和の情報はあふれるほどあるが、あって当たり前になっていたり、悲惨な被害状況を教わる平和教育がトラウマになり「原爆もういい」という若い人もいるそうです。「原爆ドームのイルミネーションなど観光色も強くなっていますが、ここはかつて広島有数の繁華街で、約4,400人が犠牲になった場所。戦後盛土して整備されたので、実は下には当時の原爆の焼け野原が広がっているんです。今でもどろどろに溶けたビンや被爆瓦、また遺骨も眠っていて、“大きなお墓”と言う被爆者もいます」(村上さん)。

ガイドをしながら考えたこと

そのうえで「『日本は唯一の戦争被爆国』『核兵器なくそう』とよく聞くが、実際にどれだけの人がそういう認識を持ち、また学校で学んでいるのかと考えると、広島だけでなく、日本全体で薄まっている気がします」と村上さんは言います。「『知る』ことの基本はまず教育にあるのでは。日本の若者が関心が低いと言われるのもそのあり方ではないかと思っています。実際にガイドするなか、話を聞き始めると真剣に聞いてくれる方が多いです」。

大事にしているのは、被爆体験がないからこそ事実を正確にわかりやすく、心に響くように話すこと。同じ話でも相手のようすを観察しながら、自分勝手に進めてしまわないよう意識していると言います。参加者も「話が整理されてわかりやすかった。淡々とした語り口調は真実味があり、過去の話でなく未来につながる問題として実感させられた」と感想を述べていました。

 

 

最後に地域活動委員会の田原けい子委員長が、「これまで被爆者には何度かお話しを伺ったが、若い方が冷静に語るのを聞くのは初めて。でもとても心に響きました。ある被爆者が『体験話に重さを感じる若い人にどう伝えればよいか悩む』と言われていて、村上さんのような若いガイドは、原爆被害の実態や平和への思いを若い人へつないでいく、とても大事な語り部になると思います」とまとめました。

村上さんは、今年の日生協ピースアクション分科会企画にもかかわる予定です。

▽ヒバクシャ国際署名はこちらから
「話そう!平和のこと」

ノーベル平和賞受賞のICANにパルシステムも加盟 核兵器のない世界を次世代へ